美しさについて。 vol.7 華雪

2023.06.02

Vol.7 華雪(書家)

書家として、唯一無二の活動をつづけてきた華雪さん。全身全霊で一文字を書くとは、どういうことなのか。華雪さんが考える美しさについて聞きました。

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——初めて書に触れたのはいつですか。

まだ妹が幼稚園くらいの頃、左利きを直すために母が見つけた書道教室に、私も付き添いとしてついて行ったのが始まりです。お姉ちゃんもやってみたらと言われて書くようになり、そのうちに私一人で通うようになりました。

その教室は、字の成り立ちを教えたり、絵本のなかから知っている字を書いてみたり、上手な字の書き方を教えるような場所ではありませんでした。だから学校の習字の時間に自分の字を赤で添削されたとき、驚いたことがありました。

当時のことで覚えているのは、自分のことよりも、楽しかった教室の雰囲気です。今週楽しかった出来事を文字にしてみようという先生のお題に、友達が、お母さんが買ったという「宝石」を書いたことなんかがなぜか記憶に残っているんです。

先生は、学校で習った字を話すと、漢文学者・白川静の『字通』をひきながら、その字の成り立ちについて教えてくれるような人でした。字のかたちの奥にある、それまでの歴史について考えることを教えてくれたと思います。

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——その教室にはどのくらい通ったんですか。

20歳くらいまで通いました。本格的に「書」を習うようになったのは、中学生の頃です。他の生徒が辞めるタイミングが重なり、私と先生のマンツーマンになったことで、中国の書道史や臨書(模写)を教わるようになっていきました。先生はあまり自分のことを話す人ではありませんでしたが、お稽古の後に徐々に話すようになりましたね。もともと幼児教育を専門に学んでいたとか、書家・井上有一とともに活動した森田子龍のところで書を学んだことがあるとか。でも結婚をきっかけに書をやめるよう家族に言われ、子どものための書道教室をやるようになったそうです。女性が書で生きていくことは不可能だと思われていた時代でした。

それで言われたんです。もし、書家になりたいのなら、私のところにいてもだめ。男性の著名な先生のところに習いに行きなさいと。書道の流派のなかでないと生きていけないということです。でも、私はそれが理解できず、そちらを選ぶことはありませんでした。

——17歳の頃に個展を開いたようですが、それはどういう経緯だったのでしょう。

先生のすすめで、地元の喫茶店で行いました。鏡に「姿」と書いて、その鏡を見ると自分とその字が見えるという作品にしたんです。その頃からずっと、何を書くかということよりも、どうその文字の奥の世界を表現するか、というスタイルは変わっていないと思います。

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——大学卒業後、書の道を進む決心をされたんですね。

周りが就職活動に励むなか、会社勤めではなく書で生きていきたいと母に話したんです。そのとき、書の仕事を一つとってきたら書家になることを許すと言ってくれました。

その頃にはすでに継続的に個展をやっていて、見にきてくれた淡交社の茶道雑誌の編集者が、雑誌の扉用に禅語を篆刻(てんこく)で表現するという仕事をくれました。もちろんその仕事だけで食べて行くことはできないけれど、母は約束を守り、許してくれたんです。

編集部に挨拶に行ったとき、編集長に「しっかり勉強してください」と、分厚い禅語の本を渡されました。今考えるとすごく贅沢なお仕事、時間だったと思います。1度だけ、編集長に解釈が違うと言われたことがありました。喫茶去(きっさこ)という言葉で、私はお茶を飲んで帰るという表現をした。けれど喫茶の「場」を表現するべきだったと、今ではわかります。文字や言葉の意味を、時をへて理解できるようになる、そんなことがよくあります。

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——書家として生きていくのは易しいことではないと想像します。

流派に属さず、書家として立つには現代アートのギャラリーで扱ってもらわないと、という当時の仲間のアドバイスもあり、ギャラリーに作品を見せに行ったりもしましたが当時は私の力不足もありなかなか扱ってもらえませんでした。ワークショップや個展を地道につづけて、最近現代アートの世界との距離が近づいてきたと思います。

「書」の世界にはアートや写真のように批評家がいません。アートの世界のなかで、「書」とは何かを考えながら、女性の作家のロールモデルもないまま、荒野を一人手探りで歩いてきた感じがします。だからか、色々な人にさまざまな状況でたくさんのことを問われ、そのたびに言語化を試みていたと思います。小さな子どもに私でも書けると言われたり、俺の字と何が違うの?と聞かれたこともありました。初めは腹が立ったけど、根源的な問いだと思うし、今もそれを折に触れて思い出します。字を書くだけでなく、その字の成り立ち、歴史、背景、文字を作った人がいるというところにまで遡って考えて、書く。そのことを変わらずつづけているんです。

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——書のためにしていること、あるいはしないことなど、華雪さんのルーティンはあるのでしょうか。

ルーティンはありませんが、書のためにつづけていることは、ダンベルとスクワット。あと複雑な味のものを食べないということでしょうか。ジャンクフードはNGとか、オーガニックオンリーなんてことではなくて、よりシンプルな自分であるために気をつけています。体を使って書くので、体幹がぶれないようにする。大きな作品を書くときは、体を軽くすることも大切なことです。

私の書は、練習の時間より、何を書くかを考えることに多くを費やしています。若い頃は自分に直結する字を書くことが多かったけど、東日本大震災以降、自分と社会のつながりを考えることが増えて、新聞などからも書く字につながるテーマを探すようになりました。震災や新型コロナウイルスによるパンデミック、最近では戦争のことも、自分もその世界のなかで生きていると思えば、自問自答を繰り返しながらそれらについて考えたことを小さなかたちでも書に結びつけたいと思うんです。

——「書く」とはどんな行為なのでしょうか。書きつづけている字はありますか?

書くという行為は、その瞬間をとどめるということだと思います。

震災以降、「日」という字を、眠る前に書くようになりました。酔っ払っているときでも。きちんと書くのではなく、そのとき手に入る雑紙でもいい。何気なく始めたのですが、その日をニュートラルに戻す調整の役割があるようです。

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——美しさについて聞かせてください、美しい字、そして人のこと。

美しい字とは、声が聞こえる字でしょうか。以前、美術館で禅僧が書いた書の展示室に入ったとき、すごく色々な声が聴こえた気がしたんです。そしてその目でもう一度、井上有一の字を見てみると、彼の声が聞こえてくるように思いました。声はその人を如実に表すものだと思うんです。

美しい人は、飾らないでいられる人。装ったり、飾ったりしたときをへて、そして捨て去った人。私もそんな人になりたいです。

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PROFILE
華雪(かせつ)
書家。1975年、京都府生まれ。立命館大学文学部哲学科心理学専攻修了。92年より個展を中心にした活動をつづける。〈文字を使った表現の可能性を探る〉ことを主題に、国内外でワークショップを開催。他分野の作家との共同作業も多数。刊行物に『書の棲処』(06年、赤々舎)、『それはかならずしも遠方とはかぎらない』(12年、hiromiyoshii)ほか。作品収蔵先として高橋コレクション、ヴァンジ彫刻庭園美術館など。

photo:Yu Inohara
text:Nobuko Sugawara(euphoria factory)